
大陸から伝来し、日本を代表する民俗芸能へ。
日本の獅子舞のルーツは、古代のインドと言われています。インドでは、古くより遊牧民がライオンを神秘的な力を持った霊獣と崇め偶像化しました。それが仮面舞踊となり中国〜朝鮮半島へ渡り、7世紀の初めに仏教の伎楽と一緒に日本に伝来したと考えられています。
その頃、日本列島に生きる民たちは、縄文の猪送り、アイヌの熊送り、東北の鹿踊り等のように、動物を大自然の神として敬う精神文化を既に持ち、さらにお祓いの人生観とも結びついて、獅子舞を日本独特の文化へ熟成させました。16世紀初め頃、伊勢の国では飢餓や疫病を追い払うために獅子頭をつくり、獅子舞を奉納したと言われています。
獅子舞が日本の各地に急速に広まったのは、江戸時代の初期の頃からで、「伊勢大神楽師」と呼ばれる芸能集団が獅子舞を踊りながら全国をまわり、次第に芸能的要素が加わりました。その後、各地で郷土色豊かな独自の舞いが取り入れられ、日本を代表する民俗芸能として定着しました。
地域の宝として、伝え続けられる富山の獅子舞。
富山県では、江戸時代の中期まで、獅子舞は神輿の渡御(とぎょ)の露払い役として一部の村で奉納され、明治時代に入ると庶民の芸能として隅々の村々まで浸透しました。また、富山市八尾地区では、室町時代につくられた獅子頭が見つかっており、年の明らかな獅子頭としては、富山県最古のものです(県指定有形文化財)。
全国的には正月の行事などに演じられることが多い獅子舞ですが、富山県では多くは春祭りか秋祭りに獅子舞が演じられます。春は雪解けとともに始まる農作業での豊作を祈念して、秋は五穀豊穣に感謝して、賑やかな獅子が神社に奉納され、家々をまわります。
富山県の獅子舞は数も種類も多く、地域によって舞い方や演目も違います。住民は獅子を持つ頭持ち、胴幕を支える獅子方、舞を舞う獅子あやし、笛や太鼓などの囃子方などの役割を分担し、それぞれの地域に受け継がれる伝統の獅子舞を大切に、地域の宝として守り伝えています。
富山県の獅子舞は大きく分けて、「百足(むかで)獅子」と「二人立ち獅子」に分類されます。百足獅子は 「カヤ」と呼ばれる胴幕の中に人が何人も入って行われる全国的にも珍しい獅子舞の形態で、県西部地方で多く見られます。一方、二人立ち獅子は、二人で行われる日本の伝統的な獅子舞の形態で、県東部地方で多く見られます。この他に、中世からの流れを汲む「行道(ぎょうどう)獅子」という古い形態の獅子舞も見られ、バラエティに富んだ獅子舞文化が継承されています。